えっちな艶やかな詩を見つけた。
詩経 斎風
東方之日兮 彼姝者子 在我室兮 在我室兮 履我即兮
東方之月兮 彼姝者子 在我闥兮 在我闥兮 履我發兮
周から春秋時代、つまり紀元前11~7世紀あたりに成立したらしい「詩経」。当時は単に「詩」と呼んだという。そのなかの「国風」つまり各国の民間の詩を集めた部分の「齊風」からの一節である。
詩経は古来、いろんな人がすごくアクロバチックな解釈を施してきたのだが、この詩についての表面的な解釈はおおむね一致しているらしい。それはそれですごい。つまり、男女が乱れている。
その裏に鋭利な社会風刺とか高遠な政治的道徳的な主張が含まれているかはさておいて、当記事では表面的なとりあえずの日本語訳を得ることを目指す。友人にその場限りの蘊蓄として話したり、宴席を盛り上げたりするのに使えればそれでよいのである。
もちろん、詩経を現代日本語で非伝統的に解釈する本を探してくれば済む話だが、今日は家から出たくない。
東方之日(しゅけべ/セーフーゾクの乱れ) - 崔浩先生の「元ネタとしての『詩経』」講座(ヘツポツ斎) - カクヨム
東の空に、日が昇る。 にもかかわらず、あの美しいお人。 あの方は、この部屋におられる。 このお部屋にて、私の側にある。
東の空に月がのぼる。 あぁ、かの美しいお人。 あの方は、いまだ邸内におられる。 私を踏み、発されるのだ。
一番面白い。電気按摩でもするのかという勢いだ。「履我即兮」が「私の側にある」と優しく意訳されているのに対して「履我發兮」がそのままなせいで面白くなっているのだろう。しかしそれゆえ、これをフラットな訳として採用しようとするとバランスが悪くなると思われる。この二句は明らかに対句なのだから、それらしく訳したい。
環境資訊中心《詩經》白話新譯:〈齊風.東方之日〉 台湾の環境インフォメーションセンター(?)のサイトがなぜか詩の現代語訳を載せている。
現代中国語訳:賈福相
太陽在東方,有位姣好的姑娘,在我房內了。 在我房內了,站在我面前了。
月亮在東方,有位姣好的姑娘,在我臥室了。 在我臥室了,站在我蓆上了。
英語訳:Fu-Shiang Chia(たぶん同じ人)
Sun in the East. An exquisite young woman Comes to my house, And now she stands before me.
Moon in the East. An exquisite young woman Comes to my room, And now she stands by my bed.
DeepL等を駆使した日本語訳
太陽は東にあり、美しい少女が私の部屋にいる。 (彼女は)私の部屋にいて、私の前に立っている。
月は東にあり、美しい少女が私の寝室にいる。 (彼女は)私の寝室にいて、私のマットの上/ベッドのそばにいる。
昼は単に部屋にいたのが、夜には一歩進んで寝室で、さらに布団と直線的に進んでいく。分かりやすくかつ穏当と思われる。ここで、闥は寝室と訳され、即と發は軽く無視されている。
译文
东方太阳红彤彤啊,那个美丽大姑娘——就在我家内房中啊。就在我家内房中啊,悄悄伴我情意浓啊。
东方月亮白晃晃啊,那个美丽大姑娘——就在我家内门旁啊。就在我家内门旁啊,悄悄随我情意长啊。
注释
日:比喻女子颜色盛美。
姝:貌美。
履:踏,践。一说同“蹑”,放轻脚步。即:就。一说通“膝”,古人席地而坐,安坐则膝在身前。
闼(tà):内门。一说内室。
发:走去,指蹑步相随。一说脚迹。
訳文
東の空には太陽が紅く輝いていて、あの美しい娘は私の家の奥の部屋にいます。家の奥の部屋で、深い愛情を持って静かに寄り添ってくれます。
東の空には月が白く輝いていて、あの美しい娘は私の家の内扉のすぐ隣にいる。家の内扉のすぐそばで、静かに私の愛情に従ってくれます。
注釈
日:女性の色の美しさのたとえ。
姝:美しい。
履:踏む、踏みつける。一説に"蹑"で、そっと歩く。 つまり:踏む。 また一説に「膝」に通じ、古人は地面に座り、座るときは膝が体の前にあった。
闥:内側の扉。 一説に内室のこと。
發:行く、つま先で(一歩ずつ)ついて行くという意味。一説に足跡のこと。
語釈の注釈がある。ありがたい。
ほとんどの部分は大して悩むこともなく訳せる。
東方之日兮 -> 太陽が東の空に浮かんでいる
彼姝者子 -> あの美しい乙女が、
在我室兮 -> 私の部屋にいる
在我室兮 -> 私の部屋にいる(大事なことなので2回言いました)
履我即兮 -> ?
東方之月兮 -> 月が東の空に浮かんでいる
彼姝者子 -> あの美しい乙女が、
在我闥兮 -> 私の?にいる
在我闥兮 -> 私の?にいる
履我發兮 -> ?
闥、履我即兮、履我發兮が悩みどころになる。
まず闥だが、一般的には門のことらしい。ただ、昼には部屋にいたはずの乙女が、夜には門のそばにいるとなると、むしろ離れて行ってしまっている。まてよ、履我發兮の發を「去り行く」とすれば、「門の側にいる彼女はこれから、私に寄り添いつつ外へ出発するのだ」という風に読めるかもしれない。いま自分で少し納得しかけているのだが、ここまでに参照した翻訳からはかけ離れているし、事後より事前ということにしたほうが盛り上がると思うので、やめておく。
というわけで闥は内室、寝室という説を採る。寝室で、履我發兮。發を足跡とする説があるようだが、そうとすれば「私の足跡を履む」となって、徹底的にフォローしてくれる感じになる。ちょっと恣意的だが、履我即は履我シテ即スと読んで、これもまた徹底的に寄り添ってくれるという感じにしてみる。これでどうだ。
東方之日兮 -> 太陽が東の空に浮かんでいる
彼姝者子 -> あの美しい乙女が、
在我室兮 -> 私の部屋にいる
在我室兮 -> 私の部屋にいる!(大事なことなので2回言いました)
履我即兮 -> そして、私に寄り添い従ってくれる。
東方之月兮 -> 月が東の空に浮かんでいる
彼姝者子 -> あの美しい乙女が、
在我闥兮 -> 私の寝床にいる
在我闥兮 -> 私の寝床にいる!(大事なことなので(ry)
履我發兮 -> そして、私に付き合い従ってくれる。
これでいちおう原文の一字一字に誠実に向き合ったうえで、そこそこ穏当かつえっちに訳せたのではないだろうか。
いいから本買えよ。